とりあえず弁論

  • author: ameto_pd
  • 2011年05月13日

どもあめとです。
弁論しちゃいますwww

感想yryr

あ、追記に載せてるからwww

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   今
 「ありがとう」この言葉を聴くと、何故か嬉しい気分になる。ただの言葉なのに、なぜか気分がよい。こんな気分が良くなる言葉を、

みんなは言えているだろうか?いいそびれてしまったことはないだろうか?私は言いそびれてしまった。

 小学校五年生の頃、ひいおばあちゃんが死んだ。その時おばあちゃんは入院をしていて、

そこまでいい状態とは言い難かった。しかし、

ちゃんと話すことは出来たし、寝たきりだったわけではない。ただちょっとボケがあり、

妹のことを犬と間違えてしまったりと、少々年齢がきている部分があった。でも、年齢のわりには元気だった。元気だった次の日に、死んでしまった。私は、死と言うものが理解できなくて、ただ泣いているだけのおじさんや、親族を見ているだけだった。そして、

 「もう会えなくなるんだ」

 「もう怒られることもないんだ。」

ただそんなことを思うだけだった。

 「もしももう一度あなたに会えるなら、たった一言伝えたい。ありがとう…ありがとう。」ひぃばぁちゃんの遺骨を箸で持ったとき、そんな言葉が私の中で想い巡っていた。怒られて、学ばさせられて、また怒られて、

「怖いばぁちゃんだな。」なんて思いながら接していたけど、なんで言えなかったのだろう。「後悔後先立たず。」私にぴったりな言葉だ。、

しかし、そんな私にもしっかりと認識していることがある。

 「人は絶対に死なない。なぜならその人の中で一生行き続けるからだ。」

 私の好きな漫画の内の一つでも、

 「人は人に忘れられた時に死ぬ。」

と、表現されている。ひぃばぁちゃんは私の胸の中で一生行き続けている。

 「ありがとう」この言葉を聴くと、何故か嬉しい気分になる。ただの言葉なのに、なぜか気分がよい。こんな気分が良くなる言葉を、

みんなは言えているだろうか?私は先ほど話した通り、ひぃばぁちゃんを亡くしている。

「ありがとう」と言いそびれた。人はいつ死ぬか分からない。今日自分が死ぬかもしれないし、明日、自分が死ぬかもしれない。今日友達が、家族が、近所の人が、死んでしまうかもしれないし、明日死んでしまうかもしれない。その一例として、東日本大震災。もう、学校でもニュースでも、たくさんとりあげられたと思う。そこで何を考えるか、すこし目を閉じて考えてみよう。苦しい、悲しい。助けてあげたい。自分には関係ない。さまざまな思いがあると思う。私は悲しい。突然死んでしまったと思うと、心が痛い。しかし、ひぃばぁちゃんのように、死んでしまった人はかえってはこない…悔しいが私は今を大切にしようと思う。

 私は幸せだ。今、生きていれるだけで幸せだ。この学校にこれているだけで幸せだ。この、三十九人の人、四百八十以上もの人、こんなにもたくさんの人に支えられ生きている。こんな幸せをムダにはしたくない。私だけではない。あなたも―

だから、だから…

今、この時を大切にしてください。家族を、友達を、親友を、好きな人を、大切に思う人を、となりの席の人をご近所さんを、地域の人を、日本のみんなを、大切に思ってください。

「ありがとう」と伝えてください

私は伝えます。今を生きます。友達を大切にします。大切な人を大切にします。今は一瞬しかきません。いいそびれる前に、伝えるようにしましょう。

人間は本当にもろすぎる。だからこそ支えあって生きていく。今、この時を共に築き上げていく。本当人って素晴らしい生き物。最後に、私の弁論を聞いてくれて「ありがとう」 


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